無類の酒好き上杉謙信VS味噌にこだわった武田信玄
戦国武将は皆長生きだった!【和食の科学史⑨】
■お手軽味噌と熟成味噌
信玄は満足しませんでした。味噌をしっかり摂取するにはどうしたらよいか知恵を絞り、陣立味噌を考案しました。現代の信州味噌は、信玄の領地で作られていた味噌の流れをくむもので、通常は2〜3ヵ月熟成させます。これに対して陣立味噌は20日くらいで完成する、いわばお手軽味噌でした。原料である煮豆をすりつぶし、麹を混ぜ合わせて腰に下げて出発すると、戦地に着くころ味噌ができあがるというすぐれものです。
信玄は陣中食にもこだわり、さかんに「ほうとう」を作らせました。小麦粉で打った麺を野菜とともに味噌で煮る料理で、こんにちでは山梨名物になっています。周囲には山菜がいくらでも生えていますから、持参するのは小麦粉と味噌だけです。小麦粉は米より軽く持ち運びに便利ですし、慣れた人が麺を作れば、ご飯を炊くより早く食事の用意ができたでしょう。山の中でも体が温まり、栄養満点です。有名な風林火山の旗印に「疾こと風のごとく」と書かれているように、素早い移動が求められる戦地では大変合理的な食事でした。
日本で初めて味噌工場を作らせたのは仙台の伊達政宗です。独眼竜で知られる政宗は、子どものころに天然痘に感染したことで右目の視力を失いました。天然痘のワクチン接種が普及するまで、天然痘は日本人が失明する最大の原因だったのです。独眼竜の呼び名は江戸時代になってからつけられたものです。
同じ戦国武将でも、政宗は信玄より46歳も年下でした。1601年、仙台に築いた青葉城に移った政宗は、戦の勝敗を左右しかねない味噌を自給するため、城下に大規模な味噌醸造所を建造しました。大豆の比率を高めて風味を増し、長く熟成させることで保存性を高めた政宗の味噌は、現代まで続く仙台味噌のいしずえとなりました。
(連載第10回へつづく)